イタリア代表のDF。メインは4バックの左CB、3バックの左CB。ユヴェントスの3バックではスライドして守るため、サイドを攻められるとSBに配置されたCBのようだった。 対人戦に強く当たり負けせず、高さもあり跳ね返すのも得意。 カバーリングも上手く一枚剥がされた時のサポート(リトリート)が上手い。ただ、攻撃面ではヘディングは強いが、パスワークは当時のセリエAのCBよりは良いが並み程度。 典型的で古典的なカバーリングの上手いストッパータイプ。
ロンディネッラでキャリアをスタートし当時はMFとしてプレーしていたそうだ。アスコリでCBにコンバートされどんどん活躍していく。 2004-05シーズンにはパレルモに移籍。守備の中心選手として活躍しキャプテンも務めたこともあった。 2007-08シーズン前にユヴェントスは獲得を試みるも失敗しパレルモに残留。翌シーズンも試みるも断られてドイツのヴォルフスブルクに移籍した。
ヴォルフスブルクの初シーズンは、中心選手として安定したパフォーマンスを発揮しリーグ優勝に貢献。しかし、その後は故障しがちで徐々に出場機会を失っていた。 2011年1月の冬の移籍シーズンにユヴェントスに加入した。
ユヴェントスに加入した当初は、「第2のレグロッターリエ」と呼ばれた。
レグロッターリエはフェラーラ、モンテーロのバックアッパーとして加入し、その後もテュラム、カンナバーロのバックアッパーをして晩年スタメンになった選手。
今回もボヌッチ、キエッリーニのバックアッパーとして加入したからだ。しかし、2011-12シーズン後半からコンテ監督は彼を出場させるべく3バックを採用。
スタメンに定着した。そのシーズンはコッパイタリアこそ決勝で敗れたものの、リーグ戦は無敗優勝という大記録に貢献した。
その後もリーグ優勝に貢献したが、年齢からくる衰えには抗えず徐々に出場機会を失っていった。その代わりにルガーニを自分の後継者として教育していった。
2018-19シーズンを持ってユヴェントスで引退した。
イタリア代表では、リッピ監督時代に初招集され、ドイツワールドカップは同じポジションのネスタの怪我もあり、マテラッツィと2人で彼の穴埋めをし優勝に貢献した。 その後はユヴェントス同様にボヌッチ、キエッリーニとの3バックでディフェンスラインを形成した。4バックを採用する際はスタメンとベンチの当確線上の選手だった。