イタリア代表のDF。メインポジションは右SB。右WBや3バックの右CBも可能。プレーは見ていないがエンポリ時代は左SB、セリエBに降格した時のユヴェントスでは4バックの右CBも臨時ながら務めた。
90年代から2000年代前半のSBの攻撃参加と言えば、オーバーラップの意味合いが強く、ビリンデッリはユヴェントスに入った頃はオーバーラップの回数が同ポジションのトリチェッリよりも多かったように思う。 なので当初は攻撃的SBとして加入しているが、反対側のペソットと比べるとトータルで出来ることが少ない。そんな中で少しずつ安定感や守備力に身に着け、攻撃参加の回数は減ったが当時のSBの役割全般をこなせるSB職人化した選手。
エンポリでプロデビューし、セリエB、セリエA昇格に貢献。セリエA昇格を決めた翌シーズンにユヴェントスに移籍。加入当初はトリチェッリとポジション争いし出場は半々ぐらい、翌シーズンにトリチェッリがフィオレンティーナに移籍。 出場数は右SBの中では1番多かったが重要な試合ではCBも兼ねるミルコビッチが起用された。これが原因で守備的になったのではないかと思う。
監督がアンチェロッティ監督に変わると3バックと4バックを併用で、3バックの右CBはトゥドール、右WBはザンプロッタのバックアッパー。4バック時の右SBの場合は、トゥドールのバックアッパーとしてプレーした。 (この頃は、加入当初ぐらいのオーバーラップ回数があれば出場機会が増えたのではないかと思う。)
リッピ監督が戻って以降、テュラム加入の影響により、さらに出場機会が激減した。その頃はカップ戦要員的存在となった。
カルチョポリでセリエBに降格した際は、その堅実な守備と安定感からスタメンに起用されセリエA復帰に貢献。ユヴェントスがセリエAに復帰し、選手を大量に補強しまたもバックアッパーとなった。
カップ戦も含めて出場機会が減り、身体的衰えもあり地元のクラブであるピサに加入。その当時ピサは財政難で結局シーズン終了時に破産。移籍を余儀なくされた。
破産のためペシーナに移籍したがペシーナも財政危機にありシーズン終了後、引退した。
イタリア代表では6試合に出場。ユーロ2004の予選と親善試合のみに留まった。