ユーゴスラビア、クロアチア代表のMF。左サイドのスペシャリストでスピードと高性能なクロスが武器で、スタミナがあり何度も繰り返しおこなえる選手。 その圧倒的なスピードから「バルカンのつむじ風」、「左サイドの神」、「東欧のロベルト・カルロス」というあだ名がついた。 本家のロベカル同様にヤルニもパワー系のフリーキックを得意としている。
地元チャコヴェツのユースからハイドゥク・スプリトのユースに移籍しそのままトップデビューを果たす。1991-92シーズンにバーリに移籍し注目を浴びる。 1993-94シーズンはトリノに移籍。そして翌シーズンにユヴェントスに移籍する。ブーイングされる程度で禁断の移籍という感じはしなかった。
鳴り物入りでユヴェントスに加入したものの、サイドアタッカーとしての出場より左SBとして出場の方が多く不満だった事を記憶している。リーグ戦最後の2~3試合はWG気味でプレーしている。
スペインに移籍以降は、WGとしてプレーしレアル・マドリードではCL優勝に貢献。最後はギリシャの名門パナシナイコスでプレーし引退した。
代表では1990年にユーゴスラビア代表として出場。詳しくは分からないが母国の政治情勢により6年間出場停止。1998年クロアチア代表としてワールドカップに出場し3位に貢献した。