ウルグアイ代表のDF。4バックの左CBがメインで、代表では3バックの中央でもプレーした選手。ストッパータイプのCBで足元が上手い記憶は無い。
危険察知能力が高く、人一倍早く飛び出して相手選手お構いなく豪快なタックル、スライティングして、ボールを刈り取る。
ついでに相手選手も刈り取ることもしばしばで、カードを貰うことも多い。セリエAで通算16枚のレッドカードは、歴代1位で別名「退場王」とも呼ばれている。
非常にダーティーで、セットプレー時に相手選手を軽く小突いたり太ももを膝蹴りしたりして、試合終了後、映像で発覚し出場停止になることもよくあった。
カードを貰って退場するリスクを背負ってでもプレーさせたい選手とも言える選手。
カードが無いときは左SBのペソットと右CBのフェラーラ2人のコーチングが上手くいった時といわれている。
また、彼は「守備のコツは試合開始3分以内に相手を怖がらせること」と公言している。
ペニャロールの下部組織上がりで、1992-1993シーズンにアタランタに移籍。その頃から既にカードは多かったが対人戦では無類の強さを誇った。
ユヴェントスに移籍してもカードを貰う量は変わらず定期的に貰って退場や累積の出場停止になっていた。それでも、4度のリーグ優勝に主力として貢献。
UEFAスーパーカップなどの国際タイトルも手に入れている。また、2002-03シーズンのCL決勝ではネドヴェドが出場停止となり、奇策としてモンテーロを左SBで起用、
その起用に応え無失点に抑えた。(PK戦は4人目で蹴り失敗)
2003-04シーズンのダービッツがフロントと揉め、ダービッツが干されると、ターンオーバーする選手の不足からくる中盤の守備に綻び生じる。
そのカバーリングをモンテーロがしていたが、飛び出しにキレが無く、年齢からくる身体の衰えを露呈しファウルが増えていた。
そして翌シーズン、カンナヴァーロを獲得し補強。出場機会を失ったモンテーロはアルゼンチンのサン・ロレンソに移籍した。
当時ヨーロッパの主要リーグから南米に移籍することは「都落ち」を意味しプレーを見ることは出来ず、事実上引退したようなものだった。
2007年、古巣ペニャロールで引退した。
ウルグアイ代表ではキャプテンマークをすることもあった選手で、代表でのプレーを見ていないが、クラブの時ほどダーティでは無かったらしい。