クロアチア代表のMF。クラブではDF。メインは3バックの右と4バックの右CB。3バック全て、4バック左CB、右SB、DH、右CHもできる。 身体的な強さを活かしたコンタクトプレーが得意で献身的なプレーをする選手。必要があれば鼓舞もする。空中戦が得意でセットプレー時のヘディングは攻守共に期待、安心感があった。
クロアチア、ハイドゥク・スプリトの下部組織出身でそのままトップデビュー。1998-99シーズンにモンテーロの控えとしてユヴェントスに加入。 モンテーロの定期的な出場停止と3バックの併用、フェラーラの怪我などにより加入から2シーズン、割と出場機会は多かった。2000-01シーズンは左SBとして定着。 この頃セリエAでは相手左サイドアタッカーに対して、CBを右SBにコンバートして守らせる戦術が流行り抜擢された。トゥドールは監督のその期待に応えた。 しかし、翌シーズンからテュラム加入とフェラーラのコンディションの復調により、出場機会が減る。この辺りから代表同様にDFよりもMFとしての出場が多くなった。 当時、何となくだがリッピ監督が試合に出場させたかったように思えた。
2003-04シーズンは、フロント陣の指示によりダービッツが干される事件(契約更新の際に揉めた)があり、チームはシーズンが進むごとに低迷していき、 2004年1月後半からずっとコンテとトゥドールの2人を使い続けた。(余談だがこのシーズンにコンテもフロント陣と揉めて契約更新せず引退している。)
2004-05シーズンにカペッロ監督になると出場機会を失い冬にシエナに移籍。シエナではディフェンスリーダーとしてチームの中心選手となった。 しかし、翌シーズンの半ばに大きな怪我をしてレンタルバックでユヴェントスに戻ってきた。 ユヴェントスに戻ってきたもののコンディションは戻らず、古巣のハイドゥク・スプリトに移籍。そこでも出場機会を得られず引退した。
クロアチア代表では55試合に出場し、フランスWCで3位躍進に貢献した。