メインは左SB、WB。両SB、WB、SHも出来る。攻守ともに素晴らしく、積極的なオーバーラップも、反対側のSBやWBの上下運動に合わせて攻守のバランスを取ることもできる選手。
トリノユース出身のSBで、ヴァレーゼやシエナで武者修行して再びトリノに戻ってくる。順調に評価を上げていった。転機が訪れたのは2004-05シーズン。 トリノはプレイオフを勝ち取りA昇格をするも破産してしまう。トリノの全選手は、一旦契約解除となり再契約をするはずが、バルザレッティはこれを期にユヴェントスに移籍してしまった。 当時、バルザレッティの妻が妊娠しておりトリノを離れたくないのが理由だが、カルチョポリ発覚後のモッジのはバルザレッティを獲得出来たことを自分で大いに喜んだと話していたから、裏で色々悪い方法を取って獲得したのだろうと思われる。 もう既にトリノのバンディエラと言っても良いくらいの選手だったそうだ。そんな選手が再契約で躓くことは考えにくい。モッジの策略に嵌ったのだと思う。
ユヴェントスに加入した2005-06シーズンは、SBとしては2~3番手の選手でキエッリーニと争っていた。 1番手のザンプロッタと組むときは、左SBでメインだが、相手チームに合わせてポジションを逆にすることもあった。 スタメン争いをしていたキエッリーニと組むときは、右SBでプレイした。ザンプロッタが抜けた来シーズンはこの2人がスタメンになる。
2006-07シーズン終了後、デシャン監督の意向を無視してGMのセッコはバルザレッティを放出し、デシャンは監督を辞任する。 当時は馬鹿な行為と思ったが、契約解除後の移籍をしたバルザレッティはトリノサポーターから恨まれていて、普通の生活が難しかったから環境を変えたかったのかもしれない。
フィオレンティーナ移籍は出場機会が少なくて、直ぐにパレルモに移籍した。その後、順調にキャリアを積みローマに移籍。2シーズンプレイした後、引退した。
イタリア代表では出場回数が少ない。これは4つ年上のザンプロッタというポジションが被るうえ、WC優勝に大きく貢献した彼の影に隠れてしまった為。ザンプロッタが代表引退した後はA代表に呼ばれている。 その後のユーロ2012では、新生イタリアを感じさせる選手の一人として活躍した。