イタリア代表のDF。メインは3バックのセンター。4バックの場合はミラン、イタリア代表問わず大体がコスタクルタと組む場合は左。マルディーニの場合は右。 80年代前後まで、ディフェンダー4人をダイヤモンドにしたディフェンスシステムでリベロ、スウィーパーも得意な選手。
プレーとしては、適切なポジションでどっしり構えてのブロックやスライティング。 左SBのマルディーニや相方のコスタクルタに指示を出しつつのラインコントロールからのオフサイドトラップ。
マルディーニやコスタクルタらイタリア代表でも英雄的存在に指示を出してディフェンスを統率、チーム全体の鼓舞などリーダーシップに富んだ選手でもあった。
セリエAを見始めた時のバレージは晩年で、恐らく今現在、セリエAの好きなおじさん世代の印象はこんな感じだと思う。
しかし、全盛期の動画を見るとコスタクルタが見本にしたと思われるノーファウルの両足スライティングや、 華麗なボール奪取からドリブルで切れ込み低弾道のミドルシュートなど相手チームにとって脅威でしかなかった。
ミラン下部組織出身で、トップチームに昇格しそのまま20シーズンプレーし、数々のタイトルを獲得に貢献、またクラブによる違法賭博によりセリエBに降格も経験。 財政面であまり裕福では無かったミランも経験しているし、ベルルスコーニが会長に就任後の裕福で華麗なミランも経験している。
イタリア代表では81試合に出場。U-21の時、出場はしなかったもののA代表に呼ばれるほど前途ある選手だった。 1994年のアメリカ大会ではロベルト・バッジォと同様にPK戦で外している。外した事でさらに伝説になっている。EURO'96の予選で代表引退した。