カルチョワールド フォア ユヴェントス

ユヴェントスを中心に見たカルチョの世界

チロ・フェラーラCiro Ferrara

イタリアの守備職人

イタリア代表のDF。CB、右SBがメインの選手で晩年は、途中出場で相手サイドアタッカー封じの為に両サイドでマンマークを務めた。対人戦とカバーリングに優れた選手。

 

ナポリ出身のナポリ下部組織上がりの選手で、武者修行(レンタル移籍)無しでトップチームに上がったエリート。 直ぐに頭角を現し、レギュラーに定着した1986-87シーズンにはナポリのリーグ優勝に貢献した。

 

リッピはユヴェントスの監督になる条件としてフェラーラも一緒に引き抜くことが条件だったらしく、フェラーラは承諾してそのままユヴェントスに移籍し優勝。 移籍してた初シーズンは右SBメインでターンオーバーでスタメンCBだったが、少しずつCBの比重が高くなっていき、モンテーロが来てからは右CBに定着した。 また、1995-96シーズンにはCL決勝のPK戦でもキッカーを務めており優勝の立役者となった。

 

衰えが見えた2003-04シーズンは若手のレグロッターリエが先発し、フェラーラが後半出場という流れで、コーチ兼プレイヤーとして動いた。(後半はチーム状況によりフル出場)

 

リッピ監督が去ってカペッロ監督に変わった2004-05シーズンはレギュラーから外され、右SBのテュラムがCBとしてスタメンになった。 上でも書いた通り、そのシーズンは途中出場でサイドアタッカー封じの為マンマークをおこなった。 このシーズン途中でフェラーラは引退を宣言した。 カペッロ監督は37節、アディショナルタイムに入る少し前にフェラーラを出場させ、フェラーラはセリエA500試合出場を達成。カペッロは粋な計らいをした。
翌年だったと思うがフェラーラは引退試合をおこない、親友のマラドーナが参加して大いに賑わった。

 

イタリア代表は、49試合に出場しているが、大きな大会の出場は少なく縁がなかった。内訳を見るとワールドカップ予選やユーロ予選の出場が多い。
また2002年のワールドカップ選手発表の際に、ユヴェントスでレギュラーのフェラーラより、サブのユリアーノが選ばれた為、トラパットーニ監督に質問がなされ、
「老人は要らない」と一蹴し、フェラーラは激怒したという。

 

最後にフェラーラは、典型的なナポリ人気質だったようで、陽気でおしゃべりな性格。
イタリア語が分からないので、どのくらいおしゃべりかは分からないが、ロッカールームではムードメーカーを務めていたと言われる。 (ただしユヴェントスのロッカールーム内でムードメーカー役の話は多すぎてほどんどの選手がムードメーカーでは?と思うくらい多い。話半分で) また、セリエAでお騒がせな選手の象徴であるブリーフ一丁もロッカールームだが、デルピエロとツーショットをパパラッチされ、トレーディングカード(Upper Deck)になっている。
(ちなみにデルピエロはタオルを巻いていたためブリーフ一丁かは不明だ)

 

氏名
チロ・フェラーラ
国籍
イタリア
ポジション
DF
誕生日
1967年02月11
身長/体重
180cm / 75kg
シーズン
クラブ名
カテ
試合/ゴール
1983-84
ナポリ
A
0 / 0
1984-85
ナポリ
A
2 / 0
1985-86
ナポリ
A
14 / 0
1986-87
ナポリ
A
28 / 2
1987-88
ナポリ
A
23 / 12
1988-89
ナポリ
A
27 / 0
1989-90
ナポリ
A
33 / 0
1990-91
ナポリ
A
29 / 2
1991-92
ナポリ
A
32 / 1
1992-93
ナポリ
A
31 / 4
1993-94
ナポリ
A
28 / 2
1994-95
ユヴェントス
A
33 / 1
1995-96
ユヴェントス
A
31 / 3
1996-97
ユヴェントス
A
32 / 4
1997-98
ユヴェントス
A
17 / 1
1998-99
ユヴェントス
A
18 / 0
1999-00
ユヴェントス
A
31 / 1
2000-01
ユヴェントス
A
23 / 1
2001-02
ユヴェントス
A
22 / 3
2002-03
ユヴェントス
A
24 / 0
2003-04
ユヴェントス
A
17 / 1
2004-05
ユヴェントス
A
4 / 0