イタリア代表のDF。メインは右SBだが、CB、左SB、右WBも出来る。攻め上がれるしディフェンスも上手く、攻守のバランスが非常に良いDF。 セットプレーでも度々得点している万能型のユーティリティープレイヤー。
ジェノアで活躍し1993-94シーズンにミランに移籍。ミランではスクデット、チャンピオンズリーグなどタイトル獲得に貢献。
当時、左からマルディーニ、バレージ、コスタクルタ、パヌッチのディフェンスラインは最強とうたわれた。
1997-98シーズン、ミランからレアル・マドリードに移籍したカペッロ監督に誘われてれてレアル・マドリードに移籍する。
この時、マルディーニとコスタクルタが引き留めの説得をしたがまったく応じなかった。ここでも数々のタイトルを獲得する。
契約満了後はミランの永遠のライバルチームであるインテルから誘いを受ける。
ここでもマルディーニとコスタクルタが説得に掛かった。
「インテルだけには行かないでくれ」「インテルに行ったら一生口を聞かない」と。
しかし、パヌッチはここでも説得を無視してインテルに移籍する。
インテルでも高パフォーマンスを維持していたが、リーグ終盤に起用法でリッピ監督と喧嘩して干される。
2001年モナコに移籍するとそこでもデシャン監督と起用法を巡って喧嘩する。ちなみにデシャン監督は選手時代リッピ監督の元でチャンピオンズリーグを制覇した監督。
2002年ローマで監督を務めているカペッロ監督が誘い、ローマに移籍する。右SBでも高パフォーマンスを維持、カペッロ監督がユヴェントスに行った際もローマに残っている。
確執のあったリッピ監督、デシャン監督ともにユヴェントスと深い関りがあり哲学的に合わないのだと判断したからだと思う。
ちなみにサッキ監督とも確執があるが、サッキ監督はリッピが若いころに従事した監督であり師匠みたいな関係。
2009年1月にスパレッティ監督とスタメン起用が少ないため抗議。ベンチ入りを拒否する事件を起こした。2010年8月、ローマとの契約満了しパルマに移籍。シーズン半ばに個人的な理由で契約を解除しその1年後引退を表明した。
イタリア代表でも監督との確執は多く、初招集から代表引退まで14年あるものの、大きな大会での選出は2002年WCと2004、2008年のEUROに留まった。EURO1996では、大会直前でサッキ監督と喧嘩。 1998年WCは不明だが、監督の実子であるパオロ・マルディーニがミラン引き留めしたにも関わらず出て行ってしまった事や、単に他のメンバーが良かっただけかもしれない。 ERUO2000はリッピ監督と仲の良いゾフ監督で選出されず。ようやく2004年主力として右SBで出場するもGL敗退。2006年は犬猿の仲であるリッピ監督。選出されず。2008年はCBとして出場した。
攻守のバランスが良くて4バックのCBもできるユーティリティープレイヤーは稀有な存在で、端から見ていると非常に良い選手だがプレー以外の悪影響が大きかった選手。