カルチョワールド フォア ユヴェントス

ユヴェントスを中心に見たカルチョの世界

マヌエル・ルイコスタRui Manuel Cesar Costa

エマストロな選手

ポルトガル代表の攻撃的MFでU-20ワールドユースを優勝したポルトガルの2大エースと言われた内の1人で、司令塔としてキーパスを出していた選手。 ドリブルで狭いスペースに侵入してスルーパスorシュートのDFに二択を迫る選手。特にフィオレンティーナ時代の綺麗なパスに豪快なバティストゥータのゴールは印象的。 バティストゥータらFW陣にマークが多く付くと自らシュートを決めた。その華麗なプレーからエマストロ(芸術家)や闘牛士などの異名も付けられた選手。

 

ベンフィカの下部組織出身で入団テストの際に未来のエースになるとその時点で言われたそうだ。 ファフェにレンタルで1シーズン過ごしベンフィカで頭角を表し、フィオレンティーナで活躍した選手。フィオレンティーナが破産してセリエDスタートになるとミランに移籍した。 そこでも活躍するが、本人のマークがきつくアシストは増えるが、移籍後初ゴールは2年ぐらいかかった。 また、フィオレンティーナの時と比べ、不調ではあるがリバウドがいて、後のバロンドールを獲得するカカの見本となり出場機会を減らしていった。 しかもこの時、アンチェロッティ監督は、ルイコスタとカカの併用を試みていて4-3-2-1のフォーメーションを組んだが、その時のオーナーは2トップ信者でこの試みに「クリスマスツリーのようだ」と皮肉られた。
その後、年齢的に衰えがみえてきて出場機会を減らしていき、古巣のベンフィカに戻り引退した。

 

ポルトガル代表では、圧倒的な内容でU-20ワールドユースを優勝しワールドカップ優勝も囁かれたぐらい粒が揃っていたが、結局大きな大会では優勝できなかった。 EURO2004ではカカとの併用で出場機会が減ったルイコスタに対してシュート力が足りないと言われたが、確か準決勝だったと思うが豪快なミドルシュートを決め存在感をさらに出した。

 

氏名
ルイ・マヌエル・セーザル・コスタ
国籍
ポルトガル
ポジション
MF
誕生日
1972年03月29日
身長/体重
180cm / 74kg
シーズン
クラブ名
カテ
試合/ゴール
1990-91
ファフェ(POL)
2
38 / 6
1991-92
ベンフィカ(POL)
1
21 / 4
1992-93
ベンフィカ
1
23 / 4
1993-94
ベンフィカ
1
34 / 5
1994-95
フィオレンティーナ
A
31 / 9
1995-96
フィオレンティーナ
A
34 / 4
1996-97
フィオレンティーナ
A
28 / 2
1997-98
フィオレンティーナ
A
32 / 3
1998-99
フィオレンティーナ
A
31 / 10
1999-00
フィオレンティーナ
A
30 / 4
2000-01
フィオレンティーナ
A
29 / 6
2001-02
ミラン
A
22 / 0
2002-03
ミラン
A
25 / 0
2003-04
ミラン
A
28 / 3
2004-05
ミラン
A
24 / 1
2005-06
ミラン
A
25 / 0
2006-07
ベンフィカ(POL)
A
14 / 0
2007-08
ベンフィカ
A
29 / 5