ポルトガル代表の攻撃的MFでU-20ワールドユースを優勝したポルトガルの2大エースと言われた内の1人で、司令塔としてキーパスを出していた選手。 ドリブルで狭いスペースに侵入してスルーパスorシュートのDFに二択を迫る選手。特にフィオレンティーナ時代の綺麗なパスに豪快なバティストゥータのゴールは印象的。 バティストゥータらFW陣にマークが多く付くと自らシュートを決めた。その華麗なプレーからエマストロ(芸術家)や闘牛士などの異名も付けられた選手。
ベンフィカの下部組織出身で入団テストの際に未来のエースになるとその時点で言われたそうだ。
ファフェにレンタルで1シーズン過ごしベンフィカで頭角を表し、フィオレンティーナで活躍した選手。フィオレンティーナが破産してセリエDスタートになるとミランに移籍した。
そこでも活躍するが、本人のマークがきつくアシストは増えるが、移籍後初ゴールは2年ぐらいかかった。
また、フィオレンティーナの時と比べ、不調ではあるがリバウドがいて、後のバロンドールを獲得するカカの見本となり出場機会を減らしていった。
しかもこの時、アンチェロッティ監督は、ルイコスタとカカの併用を試みていて4-3-2-1のフォーメーションを組んだが、その時のオーナーは2トップ信者でこの試みに「クリスマスツリーのようだ」と皮肉られた。
その後、年齢的に衰えがみえてきて出場機会を減らしていき、古巣のベンフィカに戻り引退した。
ポルトガル代表では、圧倒的な内容でU-20ワールドユースを優勝しワールドカップ優勝も囁かれたぐらい粒が揃っていたが、結局大きな大会では優勝できなかった。 EURO2004ではカカとの併用で出場機会が減ったルイコスタに対してシュート力が足りないと言われたが、確か準決勝だったと思うが豪快なミドルシュートを決め存在感をさらに出した。