カルチョスキャンダルでワールドカップどころではない感じだったが、82年のワールドカップも同じ状況だったらしく重ね合わせた感じでスタートした。 ここから試合前の国歌斉唱を大声で歌うのが伝統となる。
決勝までの試合では2戦目のPK献上やデロッシ退場、トーナメント初戦のオーストラリア戦は苦戦するも、負ける感じがしなかった。 オーストラリア戦もほとんどの時間リードされていたけれど何か起きる予感しかしなかった。 決勝はジダンの退場もありPK戦までもつれトレゼゲがゴールを外しイタリアが優勝した。
リッピ監督はUEFAチャンピオンズリーグとワールドカップの両方を制した史上初の監督となった。
優勝後にリッピ監督が便宜上4-4-1-1としているがDFとMF、MFとFWの境目をつけてはいない。また左右対称な布陣にもしていないし、交代時もそのまま同じポジションにすることは無く同じようなポジションに見えても実は全選手2~3メートルづつずらしたりしていたそうだ。
守備は中盤底で止めるのが基本でデ・ロッシ退場後はほぼすべてガットゥーゾが担当した。左側を攻められた場合はペロッタ、ピルロがリトリートしてガットゥーゾがバイタルエリア中央にくる時間を稼いだ。
攻撃はピルロに預けてそこからトッティ、カモラネージ、オーバーラップするグロッソにチャンスメイクさせるのが基本。その際には相手を攪乱させるためにペロッタにフリーランをさせた。ちなみにトッティにはマークがきつくピルロからトッティにボールが行くことはほとんどなかった。 あと、パスの出しどころが無くなるとトニに向けてボールを蹴った。
大会成績:優勝