初戦まさかのアイルランドに敗戦スタート。ここから、アクシデントが続く。
2戦目のノルウェーは勝ちはしたものの、前半21分にパリューカが退場や後半開始早々にバレージが怪我で交代するなどやっとの勝利。
ちなみにパリューカの退場は、裏を抜けられて1対1になってしまいペナルティエリア外に飛び出してスライティンをしたが、相手選手を手で倒したと主審が判断したため一発退場となった。
3戦目を引き分け何とか決勝トーナメントに進出した。
決勝トーナメント1回戦では、ゾラの謎の退場。何とか勝利したものの、またも10人で戦うことになる。
ただのコーナー付近でボールの奪い合いから相手選手が転んで、ゾラが退場する一連の流れは、本当に謎としか言いようが無かった。
2回戦スペインは、特にアクシデントは無かったが当時は、攻撃的か守備的かの違いだけで同じテクニカルなタイプ同士と言われていて、死闘を演じての勝利。
準決勝は後半半ばにバッジョが負傷交代。
パリューカの退場はともかく、バレージの負傷とバッジョの執拗なマーク(当時はレッドカードクラスも主審、副審の判断にゆだねられているので見逃されるケースも多かった。審判が全て悪い訳ではないが、今なら考えられないぐらい酷い判定も多い。)
ようやくたどり着いた決勝では、膝の負傷したバレージが即手術してギリギリ決勝に間に合う。準決勝に肉離れしたと報道されていたバッジョも出場。 ブラジルとの五分五分の試合をして延長戦もスコアレスドロー。PK戦でイタリアは3選手外して優勝を逃す訳だが、 それにしても最後のバッジョがPKを外したらブラジル優勝の場面で、あのボールの軌道は1回目のバレージと同じような感じで、怪我を我慢してプレーしていたことを改めて感じさせた。
PKを外した批判に対して「PKを外すことができるのは、PKを蹴る勇気を持つ者だけだ」は名言であり、 当時子供の自分よりも、詳しく見ていた大人の人の方が遥かに心にしみる言葉である。
監督自身が考案したゾーンプレスを採用し、伝統の5バックから4バックにした。基本方針はアルベルティーニがゲームをコントロールしてロベルトバッジョがチャンスメイクを担当する。 フォーメーションのオプションにロベルト・バッジョをトップ下にした4-3-1-2(当時の呼び名は4-4-2ダイヤモンド型)。中盤にアルベルティーニを除く3人のうち1人が外れる。2トップはシニョーリ、マッサーロ、カジラギの内2名でターンオーバー。
また、主将バレージが負傷した3戦目以降は代わりに左SBのマルディーニが務め、その左SBには右SBのベナリーヴォが入り、右SBにはムッシとタソッティが交互に入った。
大会成績:準優勝