昨シーズンナポリを率いていたリッピ監督が同クラブの選手フェラーラ連れて新しく就任する。 序盤にエースのロベルト・バッジョが怪我をするも、その穴をデルピエロが埋め首位パルマを追走していく。。 終盤にパルマが失速し首位に立つと、32節にはパルマとの直接対決をものにしてスクデット(優勝)を獲得した。
このほかにパルマとはUEFAカップ決勝とコッパイタリアの決勝で対戦する。コッパイタリアはものにしたが、UAFAカップは1敗1分けで優勝を逃した。
当時のサッカーの暗黙の了解として、イーブンボールはホーム側というものがあった。 (主審がどちら側のボールか判断が難しいようなボール場合、ホーム側のボールになる。現在は無線で副審(線審)との相談ができるようになり、より高精度な判定が可能になっている。) また、今ほどカメラの台数が少ないため審判の見えないところでの削りあいが盛んで今よりも生傷が絶えなかった。 90年代後半からカメラの台数が増えていき見えないところでのファウルは少なくなり、そういったカメラで発見されたファウルは試合終了後に出場停止などの制裁を受けるようになる。
得点源であるヴィアッリとラバネッリを主軸にした守備的な布陣を敷いて臨んだ。この時、エースでイタリアの至宝であるR・バッジョはシーズン序盤に怪我をするが、デルピエロがその穴を埋めるどころかR・バッジョ復帰後もポジション争い演じて 今後のユヴェントスを率いる逸材として結果を残した。 この時に得点率の高いペナルティエリアに入るか入らないかの左斜め45度の位置を「デルピエロゾーン」と呼ばれるようになった。
最終ラインはヤルニがフィットせず試行錯誤が長引いた。出場選手によってフェラーラが右CBか右SB、トリチェッリが両SBのどちらかに入ってバランスを取った。また、GKがランプッラになるとタッキナルディが最終ラインに入ることが多かった。
※ 現在4-3-1-2のフォーメーションは、当時4-4-2ダイヤモンド型と呼ばれた。