R・バッショをACミランに放出し若きデルピエロを中心としたチームに移行した。 具体的には、中盤にデシャンとユーゴビッチを獲得し守備の軽減と質の良いパスが供給されてデルピエロはより、ゴールやアシストに専念できるようになった。 リーグ戦は2位だが優勝には程遠いほどの勝ち点差。これは選手数が少なくCLとリーグ戦の兼ね合いなのが原因。 適度に選手を休ませなければならなず、選手に複数のポジションをさせる負担が生じた為、若干取りこぼしが増えた為だと思われる。 特に移動しなければならないアウェーでの失点が多い。
CLはプラティニ以来の10年ぶり優勝を飾った。ちなみにCLの準々決勝でデルピエロがフリーキックでゴールを決めた後、リッピ監督やベンチのディリービオ、ロンバルトがフィールドにちょっとだけ入って喜びを分かち合っていた。 今だと退場処分を食らうと思われる行為。ルールには反するが昔の良きところと言える。
デルピエロを攻撃の中心にして決定機の演出(チャンスメイク)をしやすいように同じメンバーで2つのフォーメーションが用意された。 パターン1は右図同様に攻撃時は左WGで守備時は左SHに入る。そして守備は左SHに入るのは同じで攻撃時はトップ下に入るのがパターン2。 パターン1とパターン2はラバネッリの位置で判断できる。ヴィアッリより右に居る場合はパターン1、左に居る場合はパターン2。
このパターン2は後にジダン、ネドヴェド、ディエゴが同じようにプレイすることとなる。(ネドヴェドは良い意味で、ディエゴは悪い意味で上手くフィットしなかった)
中盤以下はペソットとロンバルトの加入により最終ラインの固定と選手層に厚みがました。